塵も積もれば(7,000万ドルの)山となる

特許トロールとなぜ戦うのか、という質問をよく受ける。さっさと要求を受け入れて比較的少額の要求額を払ってしまい、本来の仕事に戻ったほうが結局は楽だし、経済的損失は少ないのでは?と。

トロールの標的になった多くのIT企業は、その方法をとっているようだ。しかし、Kaspersky Labはそうではない。社の信条が絡む問題なのだ。それに、何年にも及ぶ支払いを合計すれば少額とはいえないし、その金額を無駄にせずに済むのであれば、それはもはや小さな問題ではない。「その額は?」とあなたは尋ねるかもしれない。今回はそれを計算してみよう。結果をこれからお見せするが、皆さんは驚くかもしれない。事実、銀行の残高を寄生虫に少しずつかじり取られるよりは、戦うコストの方が安く済むことが判明している。

出典(英語記事)

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攻撃は最大の防御なり…特許トロールとの戦いも然り

ごきげんよう!

シャンパンで朝を迎える。これ以上に素晴らしい1日の始まりがあるだろうか。特許トロールとの長きにわたる戦いで勝利したばかりの今こそ、美酒を浴びるにふさわしい瞬間だ。

しかも、今回はこれまでの勝利とひと味違う。本当に画期的な勝利だった。特許トロールのWetro Lanがしっぽを巻いて逃げ出すまで追い込んだことは、特許法の歴史における重要な前例として残ることだろう。今回のような勝利を手にした事例はこれまでに存在しない。特許トロールに告訴を取り下げさせたばかりか、賠償金も支払わせたからだ!賠償金といっても形だけで、裁判にかかった費用のごく一部にすぎないが、ことわざでもあるように「先んずれば人を制す」だ。

事のいきさつを説明しよう。

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あの頃、そして現在:20年の道のり

20年にわたるビジネス、これは果たして長い年月だと言えるのか、それとも大した年月ではないのか?新しいテクノロジーや製品を継続的に開発してきた25年(Kaspersky Lab創業前の5年間を含め)については、どうだろう?

この問いに正確に答えるには、サイバーセキュリティ業界そのものの歴史の古さを問わねばならない。さて、初期のアンチウイルスプログラムが登場したのは、25年前をさらにほんの数年を遡ったばかりのことだ。

つまり、我々はサイバーセキュリティを創出した一握りの開発者の一部であると言える。我々はまさにサイバーセキュリティ業界の黎明期(オンデマンドのシグネチャスキャナーの全盛期)から業界に携わってきて、現在(ビッグデータと機械学習の新時代)も関わり続けている。型にはまらず、最先端であり続けた20余年でもある。自画自賛が過ぎるようにも思うが、20年目を迎える節目なのだから、今くらいは良いだろう。

もう少しの間、慎ましさを脇へ置かせていただこう。この20年で我々が打ち砕いてきたサイバー脅威について、思いを巡らせていただこうではないか。

当然ながら、歴史はただ1つの観点で解釈されるものではない。Kaspersky Labの歴史も、例外ではない。

20年前の穏やかなりし日々を捉えた古い写真を眺めつつ、初歩的なミスや失策を思い出して身をすくめ、鏡に映る自分の白髪混じりの頭髪と深まるシワに悲しみを覚える。それも1つのあり方だ…。

だが、同じ20年前の写真を見たとき、ほほ笑みと共にこんな風に考えることもできる。「悪くない20年だったな、でもこれからが本番だ!」。すべては考え方次第だ。課題や困難に目を向けるのか、それとも成功や達成に注目するのか?正解しても賞品は出ないが、我々の選択は、もちろん後者だ。常に前向きであること、それがKaspersky Labのやり方だ。この業界ではそうあらざるを得ない!我々が皆さんにインスピレーションを与えることができるなら、幸いだ。

さて、Kaspersky Labの創立記念日を迎えるにあたり、歴史への誠実さを保ちながら(そして品位を保ちながら)、生き生きとした強烈なインスピレーションをいかに喚起することができるか、猛烈に長考した。こうして行き着いたのが、当社の歩みの中でも興味深く楽しい側面をいくつか簡単にご紹介することだ。「古き良き時代」がいかなる様子だったか、今がどんなものであるか、そして、いかなる未来が待ち構えているのか。

まずは、私たちのオフィスから始めよう。

始まりの日、すなわち1990年代の初め頃に戻るなら、6オフィス分を巻き戻すことになる!

ご覧いただこう。1994年、世界最高のアンチウイルスの1つを開発した本拠地の様子だ。これでオフィス全体だ!「自分の研究所」としての登記はこの3年後だが、とにかく、これが当時のオフィスだ。実際には、90年代にソフトウェアやハードウェア製品を製造していたKAMIという会社の一部だった。

なお、初めてハンブルク大学の検証テストに参加し、保護の品質で予想外にも(大差で)優勝したのも、1994年だ。上の写真は、疲労困憊のところに優勝の知らせが届き、笑顔が漏れた瞬間だったと思う。

現在の(本社)社屋は、我々の所有する新しいビジネスパーク内にある自社ビルだ。位置としては、モスクワとシェレメーチエヴォ国際空港の中間あたりだ。

見てのとおり、最新設備の整った快適な空間だ。23年でこうも変わるとは!だが、最初のオフィスについて一言申し上げたい。あそこは居心地が良かった。近代的で広々とした今のオフィスも、居心地の点ではかなわない。そうだ、食堂も素晴らしかった!

出張

シェレメーチエヴォ国際空港から15kmほどの場所にオフィスが位置するのは、偶然ではない。多くの社員が毎日のように出張に旅立ち、世界中を旅する会長兼最高経営責任者がおり、諸外国からも毎日のように社員が飛来し、さらには大切な海外の顧客、パートナー、政府代表がひっきりなしに行き来するのならば、国際的ハブ空港からそう遠くない場所に拠点を置くことはロジスティック的に常識的な判断だ。

これまでもそうだったわけではない。昔は社員も出張もはるかに少なく、空港に近いかどうかはあまり関係なかった。出張といえば、こちらも時を経てすっかり変わった。今では4つ星または5つ星ホテルでの宿泊が普通で、1人一部屋があてがわれ(!)、シニアマネージャーであればビジネスクラスでの渡航なので空港のビジネスラウンジも使える。昔はホテルも2つ星か3つ星で、1部屋に2~3人が宿泊(!)、皆エコノミークラスに乗っていた。しかし、それに気付く人も、気にする人もいなかった。世界を救い、最高のサイバーセキュリティを構築するという、より大きなことを考えるのに忙しすぎた。部屋にバルコニーがあるかどうかなんて、どうでもよかった。

最近、私はビジネスクラスを要求している。これほど海外出張だらけだと、エコノミークラスではペースを乱してしまう。ビジネスクラスであれば、リラックスできて睡眠も取れ、到着と同時に「ビジネスモード」に切り替えることができる。ビジネスクラスと呼ばれる理由は、そこなのかもしれない。ただしホテルについては、星の数は気にしない。肝心なのは、ベッド、シャワー、Wi-Fiがあること、ゴキブリがいないこと、隣の部屋が騒がしくないこと、仕事場の近くに位置していること、以上だ。個人的見解だが、それ以外は不要だ。自分が「快適さ」に無頓着だから、それだけで「快適」と感じてしまうのかもしれない。

さて、出張の話が来たからには流れとしてこうなるだろう。

展示会ほかイベント

2000年半ばまでは、社員全員が展示会で「ブースの説明員」となった。取締役も部門長も、もれなく順番が回ってきた。私も何度も最前線に立った。そのときのことは、ノスタルジーと共に思い出す。ユーザーと直接ふれあう機会は、日常の業務や課題から離れさせてくれたし、何よりユーザーがまさに求めているものを聞くことができた。いわゆる「生の声を聞く機会」だったのだ。展示会は総力戦だった。みんな数日前から現地入りして、ブースを設置し、ノベルティやカタログ準備し、メディア向けの「支給品」を揃えたりしたものだ(笑)

最近の展示会は、プロのイベント業者がきめ細かく対応してくれる。ブースは現地オフィスのKaspersky Lab社員が主に切り盛りし、外部業者が訪問者の窓口を務めてくれる(営業、マーケティング、広報、R&D、アナリスト、その他部門へと繋いでくれるのだ)。

展示会や会議場といえば、現地での講演について触れないわけにはいかない。初めて大観衆の前で講演したのは2001年のVirus Bulletinカンファレンスのときで、参加者は怖いほどに多国籍だった。

「大観衆」と言ったが、初めてステージに立った私にとって大観衆に見えただけで、実際は150人くらいだったと思う。とにかく緊張していたうえ、英語で話していたので、何をしゃべったのかほとんど覚えていない。頭はオーバーヒート状態で、冷却システムは機能不全、RAMも最大容量を使い切っていた。どうやって乗り切ったのかわからないが、後から参加者にとても良かったと声をかけられた。やれやれ!任務完了!この、運命のVB-2001でのプレゼンテーションについては、こちらの記事(英語)を参照されたい。

当時の私は、飛行機に乗るのが好きではなかった。『特攻野郎Aチーム』のB.A.バラカス式でないと乗れない、…ほどではなかったが、大嫌いだった。狭い席に詰め込まれ、誰が操縦しているのか、飛行機の整備がどうなのかもわからないのだ。だが、2年ほどで飛行機恐怖症は自然と消えた。我ながらよくやった!近代の民間航空の力を借りずして、四大陸を4日相当で駆け回るなどとても無理な話だ。また、観衆を前にしたスピーチで緊張することも次第になくなった。自らの恐れることに挑め!少なくともここ10年ほどは、このとおり、さらに大勢の前でも問題ない。

パーティ

勉強ばかりして遊ばないとダメになる」ということわざがある。別の言い方では「よく学びよく遊べ」、それがKaspersky Labだ。これまでもそうだったし、これからもそうだ。

2016年の様子:

1998年の様子:

ふむ。こうしていると、過去20余年の思い出に浸って何日も過ごせそうだ。

パートナー向けカンファレンスも、進化を続けてきた。店舗向けの製品パッケージ企業プロフィール(売上、顧客数、社員数、地域オフィスおよびパートナー、テクノロジー、製品およびサービスなど)、どれも想像以上に増加し、変化した。

何もかも変わったのかと言えば、実はそうでもない。少なくとも1つは、変わらぬものがある…

それは、一生懸命に働くことだ。これまでも、今も、これからも。疲労や困難を覚えながらも、昼夜を問わずに。難題はウェルカムだ。複雑なほどいい。

特許トロールについては、相手の弾が尽きるまで戦うつもりだ。特許トロールに一度でも朝食を与えたら、昼食にも、夕食にも、夜食のときにもやってくる。しかも毎日だ。

ベンダーvs.独占主義の様相については、この状況をただおとなしく受け入れることはしない。この件については、積極的に動いている。

地政学上の問題国家による圧力に関しては、我々は我々の仕事を続けるまでだ。サイバー脅威の出所がどこであろうと、その意図がいかに「善」に基づいていようと、あらゆるサイバー脅威からの保護に取り組んでいく。マルウェアが世界的に蔓延した20年前もそうであったし、今でも個人PCやデバイス、企業ネットワーク、重要インフラの保護に取り組み続けている。

「人道的使命に情熱を燃やし、実用的な結果を目指して取り組み、最善を尽くす。私にとって、これはKaspersky Labにとっての成功の公式となった。大志を抱き、世界にとって純粋に役立つことを成し、利他的に打ち込み、それをも楽しむ。これらを続ければ、それに伴うすべて(上に挙げた素晴らしいことすべて)がボーナスとして与えられる。乾杯!」

実は、これから20周年を祝うパーティなのだ。そう、今のは乾杯の音頭だ。

では、ここで失礼しよう。

※元の英語記事は、2017年7月21日に公開されました。

祝20周年!

※元の英語記事は2017年6月26日に公開されました。

サイバーセキュリティの年月は、風のように早い。

28年前、1989年秋のいつだったか、私のOlivetti M24がウイルスにやられた。この運命的な出来事が私(とその他大勢)の人生を変えた。あの日、あのウイルスが、誰のコンピューターを襲ったのか知っていたら、そしてその後10年にわたって私(後にKaspersky Lab社員)の手で消されることになる悪の末裔たちの数を正確に知っていたら、すぐに回れ右をして逃げ出していたに違いない。

26年前、1991年の夏のことだが、同じ志を持つコンピューター好きのグループが、今や世界トップクラスとなったセキュリティ製品の曽祖父を世に出した。

20年前のまさに今日、1997年6月26日。私の名前にちなんだ「Lab」が設立された。

だが、今日のオフィスはかなり静かだ。パーティーなし、シャンパンなし、何もなし。20周年の日なのに?心配ご無用。お祝いの予定はある。いつものように、型破りなやつだ。ただ、少し先の話というだけのことだ。今日はいつもと変わらぬ営業日。とはいえ、今晩、おいしい飲み物で乾杯し、何か言葉をいただけるのであれば、ぜひお願いしたい。きっと、何かしら良い意味でお返しがあるだろう!

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何でも聞かれた!

やあ、皆さん!

先日、私はRedditのAMA(Ask Me Anything:何か質問ある?)のホストを務めた。この場を借りて、さまざまな質問、中でも答えにくい質問を投げてくれた皆さんにお礼を述べたい。「本当に素晴らしいQ&Aセッションをありがとう!」。実に幅広い質問が寄せられた。それこそ、スマートフォンのセキュリティからF1、私の好きな食べ物や飲み物まで。そしてもちろん、私の名字の発音の仕方とか、『スター・ウォーズ』とか、お決まりの質問もあった。実際、とにかく質問攻めだったので、時間内にすべての質問に答えることができなかった。だが、こちらでスレッド全体に目を通すことをお勧めする。ひょっとすると、みなさんの質問に対する答えになっているリプライがあるかもしれない。そうでなければ、さらに質問を投げてくれて構わない。この先ブログで質問にお答えするか、直接Redditで回答する機会があるかもしれない。

AMAと時を同じくして、ワシントンD.C.では公聴会が開かれ、Kaspersky Labに対する懸念が表明された。まあ、今に始まったことではない。当社は虚偽の証言には、すっかり慣れっこだ。なお、公聴会で出された質問のいくつかは、図らずもRedditコミュニティにも登場したので、回答することにしよう。

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お勧めのビジネス書9選

ビジネスを成功させるために読むべき本はどれか、と聞かれることが多々ある。学生、スタートアップ起業家、マネージャー、オーナー経営者、誰もがお勧め本を知りたがっている!問題ない、というのもお勧め本はいくつかあるからだ。ただ、どんなにお勧めだとしても、特定の本を読んだからといって必ずビジネスパーソンになれるとは思わない。とはいえ、読んで損はしない良書は確かにある。今回そのうちの9冊を紹介しよう…

私は、ビジネス書を大きく2つのカテゴリーに分けて考えている。

第1のカテゴリーは、ビジネスの成功のためにすべきことを教えてくれるもの。第2のカテゴリーは、すべきでないことを教えてくれるもの。2つの区分の境界線は曖昧になることも多いが、両方のカテゴリーの本を読むのがいいだろう。貴重な時間やリソースを無駄なことに費やさないためにも、ビジネスの立ち上げという刺激的な仕事を苦しみの連続にしないためにも。

実は、第3のカテゴリーもある。伝説的な企業や国家のリーダーが、物事をどのようになすべきかを身をもって教えてくれる本だ。こうした本は普通、多岐にわたるビジネス課題や予測不能な事態を扱うため、一般論になりがちだが、漠然とした形ではあれ無限の可能性も示してくれる。実践的なアクションプランが用意されているわけではないが、大局的な見識を得るために一読の価値はある。

ここに挙げる本の多くは、しばらく前に書かれたもの(中には前世紀のものも)なので、2000年台に登場した、まったく新しい産業や技術はほとんど、あるいはまったく触れられていない。それでも、主だった考え方は現代のデジタル世界にも十分当てはめることができるため、今の目で見ても意義がある本だ。我々は新しいテクノロジーの時代に生きているが、人間の本質は変わっておらず、人々は同じ間違いや似たような間違いを繰り返しがちだ。ただ、すべての人が間違いを繰り返すわけではない。適切に物事を行う人々もいて、そうした人々の会社が広く認知され敬われるリーダーとなる。誰もがそうなって欲しいというのが私の願いだ。

では、本題に入ろう。(この記事も、紹介されている本の方も!)読んで楽しんでいただければ幸いだ…

ジム・コリンズ(Jim Collins)著『ビジョナリー・カンパニー 2 – 飛躍の法則』(Good to Great: Why Some Companies Make the Leap…And Others Don’t

詳細(※訳注:リンク先の日本語版は、原書の表紙デザインと異なる場合があります)

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ダーウィンの特許パノプティコン:パート2

面白いことに、世界中の特許を集めてみると実に色とりどりの「景観」が広がるが、各国の発明品にはその国ならではの「味わい」がある。

たとえば、米国の特許はおおむね実用的な傾向にある。実利性をとことん追求したものもあれば、小難しい言葉でディテールへのこだわりを説明しているものもある。私の独断と偏見による過去最高に[適切な言葉を入れてくれ]な特許トップ5をご覧いただければ、わかるだろう(笑)

かたやロシアの発明者は概して野心的で、中には「宇宙」に恋焦がれ、世界、惑星、そして銀河を変えようとしているものさえある。その発明品が滑稽にも「この世のものとは思えない」ほど奇抜だという意味でも「宇宙的」だが。もっと詳しく?よし、もう1つのトップ5を披露しよう。今回はロシア版だ。

では始めよう…

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ダーウィンの特許パノプティコン

当ブログをよくご覧になっている読者はお気づきだろうが、私は最近の特許トロールについてはとやかく言っていない。ここのところトロールは影を潜めているようだが、改心して真面目に世の中に役立つことを始めたのだろうか。お察しのとおり、答えは「No」だ。残念ながら、見るところを見れば、大胆不敵で信じがたい行為にまつわる話は連日ニュースになっている。大きく報道されないだけで、トロールのビジネスは健在だ。

この類いのニュースが他人事でなくなることもある。少なくとも我々にとってはそうだ。つい先日、データパケットのフィルタリング、正確に言えばファイアウォールに関する特許の被疑侵害を主張する訴状をWETRO LANから受け取った。何だと?

彼らが主張するには、そこら中で使われている周知のデバイス、それも10年以上も前に発明されたものに対して、特許を取れるのだという。念のために補足すると、当該テクノロジーはこの特許が現れる前から長年当たり前のように使われてきた。それを今、彼らは自ら主張するところの「特許テクノロジー」の使用料を要求している。ちょっと待て、どういうことだ?!

そう、これが彼らの「ビジネス」だ。2015年から60社以上の企業に対して、彼らは訴訟を起こしてきた。訴訟の対象となった企業の多くは、この特許が存在するずっと前にファイアウォールを開発した企業だというのに。だが、業界は一連の訴訟に対して冷静な態度を見せ、この特許を最もばかばかしい特許の月間賞(Stupid Patent of the Month)にまで選んでいる。

同じくらいくだらないのは、WETRO LANが当社を標的に選んだことだ。当社がこの種の攻撃の「いいカモ」であるはずがない。いつだって特許トロールに断固として立ち向かい、屈したことなど決してない。根も葉もない疑いを示談で解決したこともないのだから。時々応戦はするが、まあ当然だ。彼らの特許は間もなく取り消されるだろうから、鉄が熱いうちそこにあるうちに打つのだ。とことん戦い続けようではないか。相手の弾がなくなるまで。

だが、この種の戦いの話は、どんなに必要だとしてもちょっと多分に不愉快なものだ。そこで、気分を盛り上げてプラス思考でいるために、埃をかぶった古い記録の中から、最も奇妙で、奇怪で、どうかしていて、矛盾に満ちた特許を掘り起こしてみることにしよう。皆さんがいつか「トンデモ特許法侵害」の当事者になったとき、彼らがどこに食いついてくるか、ポイントがわかることだろう(笑)

では、早速…

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機械式計算機の計算外の歴史

先日のローマ教皇との謁見で、アリスモメーター(機械式計算機)のような忘れ去られた装置の記憶が呼び起こされた。私と同世代の方なら、この装置がまだ現役だった頃を覚えているかもしれないが、もっと若い世代にとっては、この「奇妙な機械」は骨董品、Facebookもなく(想像できる?)インターネットさえなかった(まさか!)大昔の遺物だろう。

だが、このデジタル時代以前の、ちょっとしたアナログ器具は、かつて世界中の会計処理やその他諸々の頼みの綱だったのだ。というわけで、今回の記事はアリスモメーターがテーマだ。歴史には知るだけの価値がある。とりわけ、この装置のようにレトロな魅力があるものなら。

何という発明だ!もちろんWikipediaで説明を読んでもらってもいいのだが、ここで私の独断で見どころをまとめてみよう。

機械式計算機が出現したのは…何と2000年以上も昔だ!古代ギリシャ人がすでに使っていたのだ。ご存じなかった?私自身は、まあ、知っていたつもりだが、記憶が曖昧だ。そこで、シナプスを蘇らせるために詳しく調べてみた。

そうそう、アンティキティラ島の機械だ!紀元前1~2世紀に製作、ということは2100年以上前だ!

アンティキティラ島の機械は、古代のアナログコンピューターであり太陽系儀である。用途はカレンダー天体運行古代オリンピックの周期であるオリンピア紀を計算するために天文位置および日食・月食を予測することである。

発見時、この機械は340 mm×180 mm×90 mmの木箱に収められていた。互いに噛み合う30以上の青銅製歯車から成る複雑なぜんまい仕掛けになっており、残りの部分は1つの塊として発見され、後に大きく3つの断片に分けられた。保存作業の後、現在は82個の断片に分けられている。これらの断片のうち4つには歯車が含まれ、他の多くの断片では文字が見つかっている。最大の歯車は直径約140 mmで、もともとは223個の歯が付いていた。
(出典:英語版Wikipedia。Kaspersky Lab翻訳)

おお、ギリシャ人よ!

1600年ほど時を進めると、レオナルド・ダ・ビンチ(Leonardo da Vinci)が次なる機械式計算機を登場させた。この装置は10個の歯を持つ16ビットの加算器だ。

再び120年の長い沈黙があり…

ヴィルヘルム・シッカート(Wilhelm Schickard1623年に記した現存のメモによると、シッカートは計算の機械化の先駆けとなった最初の計算機を設計し、製作している。この計算機は2つの技術から成る。1つはネイピアの骨を使った算盤である。ネイピアの骨は6年前の1617年に初めて発表され、乗算や除算を簡単に行うことができた。また機械部分には、加算と減算を行うダイヤル式ペドメーターを備えていた。
(出典:英語版Wikipedia。Kaspersky Lab翻訳)

その20年後…

ブレーズ・パスカル(Blaise Pascalは、煩雑な大量の計算を助けようと計算機を設計した。これはパスカルの計算機またはパスカリーヌ(Pascaline)と呼ばれる。
(出典:英語版Wikipedia。Kaspersky Lab翻訳)

さらに30年後に誕生した「段差式計算機」は…

ドイツの数学者ゴットフリート・ヴィルへルム・ライプニッツ(Gottfried Wilhelm Leibnizが発明したデジタル式機械式計算機。四則演算が可能な最初の計算機だった。その複雑で精密な歯車機構は、当時の製作技術を若干超えるものだった。
(出典:英語版Wikipedia。Kaspersky Lab翻訳)

その後、真の戦力計算機競争が続く…

1674年にサミュエル・モーランド(Samuel Morland)の「演算機」が登場した。この計算機では、四則演算を「記憶力に頼ることなく、心を乱すことなく、また演算を不確実な状態に置くことなく」操ることができた(世界最初の乗算器と見る向きもある)。
(出典:英語版Wikipedia。Kaspersky Lab翻訳)

1709年には…

ジョヴァンニ・ポレーニ(Giovanni Poleni)が初めて風車型構造を採用した計算機を製作した。
(出典:英語版Wikipedia。Kaspersky Lab翻訳)

そして、前身ではない正真正銘のアリスモメーターが誕生する…

トーマ・ド・コルマー(Thomas de Colmarのアリスモメーターは、商業的に成功した最初の機械式計算機となった。その頑丈な作りから、信頼性が高く正確な計算機として安定した評判を確立。19世紀後半に起こった計算手から計算機への移行において大きな役割を果たした。

1851年の生産開始をきっかけに機械式計算機産業が立ち上がり、最終的には1970年代までに数百万台の計算機が製造された。1851年から1890年までの40年間にわたり、このアリスモメーターは唯一の量産型機械式計算機として世界中に販売された。その終盤には、1878年からドイツのBurkhardt社が、1883年から英国のLayton社が、このアリスモメーターのコピー品の製造を開始。最終的には、欧州でコピー品を製造する企業は第二次世界大戦開戦までに約20社にのぼった。
(出典:英語版Wikipedia。Kaspersky Lab翻訳)

時を同じくしてロシアでは(1850~1860年)、パフヌティ・チェビシェフ(Pafnuty Chebyshev)がロシア初のアリスモメーターを製作した。

それから1世代足らずで、別のロシア居住者(スウェーデン人の移民エンジニア)がオドネル型アリスモメーターのライン製造を開始…

1892年から20世紀中頃にかけ、オドネル型アリスモメーターの互換機を製造する独立系企業が世界中に設立され、1960年代までに数百万台が販売された。このアリスモメーターはそれまでに設計された機械式計算機で最も成功した計算機の1つとなった。
(出典:英語版Wikipedia。Kaspersky Lab翻訳)

さて、現代に戻って2016年9月28日、ユージン・カスペルスキーという人物がそのオドネル型計算機の1つをローマ教皇フランシスコ(Francis)に贈呈した。

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