ミドリクマの素敵な冒険

ミドリクマ(グリーンベア)は、東京で誕生した。実は、彼の幼少の頃を我々はよく知らない。まったく知らないと言ってもよいだろう…。

子供の頃、彼は自由気ままな、誰にも縛られない人生を歩んでいた。当時を知る人たちに話を聞くと、ミドリクマは日本でパーティやプレゼンテーション、展示会、カンファレンスなどさまざまな場所に出没したそうだ。つまり、社交の場へ積極的に参加する現在の姿と変わらない。
(訳注:ミドリクマは、日本では「グリーンベア」の名で活躍しています)


他とは違う(素晴らしくかわいい)見た目から、ミドリクマはいつも女性からちやほやされている。


しかも、されるがままだ。

実は、男性からも大人気だ。

つい最近、ミドリクマは日常に少し刺激を与えようと思い立ち、本格的な旅に出ることにした。確かに、「本格的」という言葉は的を射ている。彼が向かった先は、南極だからだ!いろんなことから少し距離を置きたい…それも「かなりの距離」を。私はそんな彼の気持ちがよくわかる。ただ、文字どおり世界の果てへと飛び出していった理由は、謎のままだ。「彼はやることをやった」。ミドリクマに近い人たちから聞いた限りではそれが最善の答えだが、あまり役に立たない答えだ。我々にできることは、彼に従い、彼の相手をしながら、トラブルに巻き込まれたら彼を助けて、南極大冒険であっと驚くような景色を一緒に堪能することだけだ…。

しばらく一緒に過ごして気づいたのは、彼が明るく外交的な一方で非常に恥ずかしがり屋ということだ!長い旅路の途中、それは車や飛行機や船の中だったりするのだが、彼は完全に身を隠してしまう。というか、シートにくるまるか、段ボール箱に隠れてしまう。まあ、どう過ごすかは人それぞれだ。

だが、ミドリクマは閉じこもっていた殻から突如として抜け出し、パーティ旅に命を吹き込む。社交性の点では、まるでジキルとハイドだ。別に文句を言っているわけではない。天真爛漫なミドリクマは、長く単調になりがちな旅のスパイスだ。この二面性がどこから来ているのか、本当に謎だ(笑)

いずれにせよ、ミドリクマにとって大陸を次から次へと移動する旅はかなりきつかったようだ。ヘトヘトになるほど空と海を長距離移動したからだけではない。自分のやりたいことをだけをやる本能(どんなクマでも持っている強力な本能だ)と、我々が住む世界のガチガチのルールや現実との間で絶えずバランスをとり続ける必要があったからだ。

ときにミドリクマは乱暴で奇妙な、決して丁重とは言えない扱いをされることもあった。まあ、それが人生だ…。

たとえば、イヌに吠えられたこともあった!

傘すら差してもらえないこともあった(笑)

彼の旅は、地球の左側から始まり、右側へと進み、そこから下へ、はるか下へ、ずっと行ってみたいと思っていた大陸へと続いていた…。

この旅は、いつもの旅とは違っていた。時間が経つにつれて寒さは増し、風が強くなり、ドレーク海峡の海上は大荒れだった。ドレーク海峡を渡るためのサントラがあるとすれば、身の毛もよだつメロディーが徐々に迫力を増していくに違いない。「ジョーズ」のテーマみたいな、この先に恐怖が待ち受けていることがわかる曲だ!

南極の山々や氷河が視界に入ったのを合図に、我々は上陸の準備を始めた。

ミドリクマは南極のとりこになった(残りの旅路もずっとそうだったが)。彼の目の前に広がったのは、想像していたとおりの景色だった(事前に故郷で南極について調べていたのだ)。だが、本で知ることと、実際に体験することは、まったく別物だ。

さて。今回の探検を科学的観点から考えると、ミドリクマが参加したことはまさに歴史的事件であることは明らかだ。気まぐれな明るさと愛らしさを備えたミドリクマが生身生毛で南極の地に降り立ったのだから。あんなに派手な緑色の物体(クマ?)が南極を訪れたことはないだろう。そこに、歴史的快挙がある。もちろん仲間にも恵まれた。南極ビエンナーレプロジェクトも、やはり世界初の先駆的な試みだ。ミドリクマが同行したのは、ある意味、当然の理だった。よく頑張った、ミドリクマ!

航海は当然のことながら、順風満帆ではなかった。南極でミドリクマはペンギンに攻撃され、くじらにクシャミをされ、ヒョウアザラシに噛みつかれそうになった。だが、こうしたショッキングな目に遭ったおかげで、南極探検がさらに特別で忘れられない、唯一無二の経験になった。極地での体験を完成させる上で欠かせない彩り、それはまるで寿司にワサビが欠かせないのと似たようなものだ(笑)

だが、家路につくときが来た。緑色のクマさんについて熱弁をふるうのはそろそろ止めにしよう。これ以上、長くなってしまう前に。もともと、そのつもりもないが。

我々はまずブエノスアイレスに到着した。この地は、いまだによくわからない。アルゼンチンの首都を訪れたことがないわけではなく、むしろ何度も来ているのだが、なぜか出張の日程がいつも厳しく、仕事が終わると「空気を吸う」暇もなく出発する(「ブエノスアイレス」は「きれいな空気」という意味だ)。ミドリクマも、巨大都市(同国の人口4,500万人のうち、およそ1/3が住む!)の空気を吸ったことがない。今回もやはり同じだった。大急ぎで空港へ向かい、そのまま飛び立った。街は、飛行機からちらっと見るだけだった。

次にミドリクマが向かったのは、ポルト・セグーロだ。ここは1500年にヨーロッパ人(ポルトガル人)が初めて足を踏み入れた場所で、現在はブラジルと呼ばれている。わずか4日前まで南極の氷の上でペンギンを追い払っていたミドリクマが、ムシムシした亜熱帯気候の中で椰子の木の横でポーズをとっているなど、想像もつかない。



ポルト・セグーロでは、先進的な中南米の代表者や地元のインディアン部族のリーダーと対面した。正式なアジェンダはなく、どちらかというと現在の中南米の課題(特にブラジル人やインディアン部族に関わる課題)を自由に取り上げて議論する集まりだった。

もちろん、ミドリクマも仕事、仕事、シゴトと働き詰めではない。仕事を終えたら、リラックスして楽しむ番だ。ビーチ、椰子の木、太陽、サーフィン、仲間との集い、カクテル…。夜は、ディスコに加えて、セント・マーチン(シント・マールテン)島で開催していたSecurity Analyst Summit 2017にもゲスト参加した。

翌日も、ビーチを堪能…

次のミドリクマの目的地はロシア!再び、氷点下に舞い戻ったわけだ!まあ、彼は気にしていないようだ。南極探検を終え、そろそろ少したっぷり休む時期だった。彼が今どこにいるか、誰もはっきり知らない。モスクワの郊外(地元の人は「のんびりした地域」と呼んでいる)かもしれないし、都心に住む貴族の友人宅にいるかもしれない。もしかしてモスクワの田園地帯に出かけているかも。わかっているのは、どこにいても彼は瞑想の時間を取るということだ。彼はそう言っていた。どこでとは言わなかった。だから思うに、今ごろ誰にも邪魔されずに過ごしているのだろう。

とりあえず、瞑想の時間があまり長くならないことを期待しよう。また戻ってきて、私と一緒に旅行してほしい。いや一人旅もいいかもしれない。旅行中に旅のブログをアップしてくれるのであれば(笑)

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