月ごとのアーカイブ:9月 2013

決してあきらめない、特許トロールとの戦い

正当な見返りを得られるまでには、恐ろしく時間がかかることがある。しかしありがたいことに、最も忌むべきものの1つである特許トロールに、ついに直接的な制裁が下されようとする兆しが現れている。

私は以前の記事で、特許トロールについて、また特許トロールとの戦いで求められる事柄について話した。

何が必要とされているのかを簡単に振り返ってみよう。

  • 特許の使用に制限を設ける。特許取得より前の期間にさかのぼって権利を主張できないようにする。
  • トロールが敗訴した、または訴訟を取り下げた場合、被告の費用全額をトロールに賠償させる。
  • 特許アグリゲーターによる提訴を禁止する。
  • 特許の説明において詳細さと正確さを要求する。技術的な専門家による審査を必須とする。
  • 重要ポイント:アイデアではなく、具体的な用途を特許の対象とする。

米国の議員たちは、私のブログを読んでいるのではないかと思うことがある。バーモント州でついに、あることが成し遂げられた(世界のあらゆる場所で、というわけにはいかないが)。反トロール法が施行されたのだ。

この法律には興味深い点がたくさんあるが、私が一番気に入っているのは、トロールのやり方が正しいものではないと証明すれば、被告側の企業はすべての訴訟費用を特許トロールに要求できることだ。 続きを読む:決してあきらめない、特許トロールとの戦い

アバンギャルドな街、マクデブルク

ロシアのことわざを1つ紹介しよう。ざっと翻訳すると、「1世紀生きれば1世紀のあいだ驚かされる」といった感じだ。すべてを見たと思っても実際はそうではない、という意味ではないだろうか。私にとってこの言葉がぴったりだったのが、最近のマクデブルク市への旅行だ。まさに驚かされた。

全体的に、マクデブルクは少し退屈な田舎町だ(あくまで私見だ。私は1年の大半をモスクワで過ごしているので)。あるものといえば、川(エルベ川だが、ここではまだとても小さい)、その川のとても印象的な土手、同じくらい印象的な(修復された)城壁と、ゴシック様式の大聖堂くらいで、他には特にない。ただ、こうした退屈さをすべて埋め合わせてくれる特徴が1つあったのだ。

市内中心部に、他の建物とまったく調和しない巨大な住宅兼商業施設がある。その名もGreen Citadel of Magdeburg(マクデブルクの緑の要塞)。見てほしい!この色、形、模様!同じようなものを見たことがあるだろうか?

この常軌を逸した建築物を担当したアーティストは、20世紀後半のガウディ(Gaudiといわれるフリーデンスライヒ・フンデルトヴァッサー(Friedensreich Hundertwasser)だ。同氏はこれ以外にも、独自の驚くべきスタイルで、中央ヨーロッパ全域の数多くの建物を優れた芸術作品に変えてきた。

オーストリア人であるフンデルトヴァッサー氏は真の独自路線を行く人で、もちろん私は彼のファンだ。同氏の考えでは、人はどれも似たり寄ったりの箱みたいな家に住むべきではないそうだ。また、住人は自分の周りの壁に色を塗るか、他の何らかの方法で壁を変えるように勧められるべきだという。この考えは家の中の壁にも及ぶ。彼は廃工場をアバンギャルドな芸術作品に変えることにも情熱を注いでいた。

さて、もう説明は十分だろう。写真をご覧いただきたい。

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世界に希望をもたらしたリーダー

紳士淑女の皆さん!

今日は、この世に存在する最高の人物を祝う特別な日だ。今日は、リー・クアンユー氏の90歳の誕生日なのだ。シンガポールの祖にして誰もが認める指導者であり、シンガポールはこの人なくして現在の姿たりえなかったことだろう。彼こそが、かつて顧みられない場所であったものを、繁栄する国家、すなわち世界の模範となるドリームシティたらしめた人なのだ。

では、かつてのシンガポールとはどんなところだったのだろう?

1965年、シンガポールは他の多くの国とは違う形で独立した。不要なものとして投げ捨てられるがごとく、独立させられたのだ。この国は未開発の島々の寄せ集めで資源も少なく、正気の人間なら行く末に希望を感じることなどできない状況だった。そもそも、正気の人間ならシンガポールのことなど認めることすらしなかっただろう。

その特徴は?

  • 湿地帯で、土地のほとんどは豚や牛が草をはむだけだった
  • 天然資源がなく、飲料水さえ事欠いていた(今でもそうだが)
  • (表現を和らげていえば)近隣諸国と友好的ではなかった
  • 識字率が低く、共産党の強い影響下にあった(海外からの支援も含め)
  • 異人種間での紛争が絶えなかった。主な構成員は華僑、マレー系、ヒンドゥー系で、それぞれ異なる宗教を信奉していた

さらにおまけで、こんな特徴も:

  • 組織的犯罪
  • 軍隊はなく、忠義な警察組織もなかった
  • 汚職が蔓延
  • 英軍の基地および港以外の産業がほぼ皆無

もう十分だろうか。

汚濁と貧困の中にあり、期待すべきものはなにもない。それが1965年の様子だった。

この25年後(そう、1990年)、ここはまったく違う場所となっていた… 続きを読む:世界に希望をもたらしたリーダー

ドイツのQRホテル

Guten tag、皆さん!

私は今、ヨーロッパ横断特急の旅にある。道中、あまりにも気になる光景が目に飛び込んでくるので、読者の皆さんにシェアしなければ、という義務感にかられている。ということで、いってみよう。

その1

ドイツのアウトバーン、フランクフルト-ハノーバー間でよく見かける車は?最新のスピーディな車、それはもちろん。では、あまり見かけない車といえば?答えは簡単、古いモデルの車だ。ビンテージ級のザポロジェッツを見つけたときに私がどれほど衝撃を受けたか、ご理解いただけるだろうか。それもモスクワのプレートがついたやつだ!なんと!フルスロットルでぶっとばしてはいるものの、ガタガタカタカタ音を立てて周囲の注意を引き、周辺はスピードが落ちてアウトバーンらしからぬ感じになっていた。これは…!まさにウクライナのレトロ襲来。

germany_zap1VWビートルへのアンサー by ソ連

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