かつての未来都市

※この記事は、20181220日に掲載された英語記事の日本語版です。

東京。類いまれな国の類いまれな首都。商業地区の高層ビルを背景にした皇居…この地区の名は何だったか?マルノウチ?いつも「マルノウティ」と聞こえてしまう。大層な話ではない、いつもの日本語の「中間音」の話だ。たぶん「Marunouchi」でなく「Marunoutchi」と表記したほうが音に正確なのだろう。だが、やはりそれも大した問題ではない。重要なのは、両方がそこにあることだ。皇居と、灰色のオフィスビル群が、陰鬱な12月の空を背景に。灰色に灰色を重ねて。

類いまれな国の類いまれな首都は、戦後の瓦礫から急速な復興をとげ、他の都市の輝けるお手本となった。歴史を少し紐解けば、この日本随一の奇跡が1960年代と1970年代に作り上げられたことが分かる。日本の高速鉄道である新幹線(Shinkansenか?Sinkansenか?)は、1964年以降、時速250 km超で疾走してきた。この鉄道は私よりも年上なのだ!

多層ジャンクションを持つ東京の高速道路も、1960年代初期に出現したものだ。タルコフスキーの『惑星ソラリス』で、バートンが車を走らせるシーンをご記憶だろうか(自動運転、運転手不在の)?このシーンは1972年の東京で撮影された。46年前の東京を見てみたいなら、上のリンクをクリックしてみてほしい。

興味深いのは、このすべてが着想され、計画され、設計され、建設されたのが1950年代終盤から1960年代初頭にかけてのことだという点だ。つまり、前世紀半ばのことなのだ!そしてそれ以来、人々はこの壮観に改良を加え、拍車をかけ、最適化を続けてきた。道路を建設し、地下鉄のために何百キロものトンネルをうがち、新幹線の速度は時速50kmもアップした。しかし、根本的に新しく革新的な建造物は作られていない。50年前の当時、東京は疑いなく未来の都市だった。そして全体的には、今もそうであり続けている。そんなことに考えをめぐらせているとき、同行者のA.M.がこんな言い回しを思いついた。「かつての未来都市」。まさに正鵠を射た表現だ。

私が滞在しているホテルからの、メガロポリスの眺望。聖なる富士の姿は、今回はない。どこかにあるはずだが、このどこか雲の向こうだ。

繰り返そう。これがメガロポリスだ。

同じ場所の、夜景。

真夜中、流れゆく車たちが車庫に戻った頃、夜のレーサーたちが現れ、高速道路をゆうに時速200km超えで競争し始める。少なくとも、そんなふうに見えた。スピード違反取り締まりカメラは、ここでは一般的ではないようだ(笑)。

残念なことに、証拠の動画を撮っておこうという考えが浮かばなかった。次回は忘れないようにしよう。

東京からは以上だ。では皆さん、仕事に戻ろうではないか!

P.S. 当社ではさまざまな国のビデオブロガーとコラボレーションしている。相変わらず、日本のビデオブロガーはすごい!

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