箱の中身はキクラデス時代からのサプライズ!

Γεια、皆さん!

その昔、地中海の島に古代文明があった。だが、現在のギリシャのサントリーニ島で栄えたこの文明は、突然姿を消した。どこへ行ってしまったのか、確かなことは誰にも分からない。文明は火山の大規模な噴火よりも前に崩壊しており、その名残はすべて噴火に飲み込まれてしまった。この魅力的な場所については、以前にも当ブログで取り上げている(2年前2回、その前にも1回)。古代の伝説、考古学上の驚くべき発見、途方もない仮説…サントリーニ島はそういう場所だ。

3600年以上前にミノア人が住んでいたこの島の都市は、3階建や4階建の家が建ち並び、本格的な排水設備を有していた。もっとも、「ミノア人」というのは当人たちが姿を消してから何千年もたった後に付けられた名前だ。彼らは本当のところ何者なのか、自分たちや島のことを何と呼んでいたのか、どんな言葉をしゃべり、書いていたのか、…こうしたことは今も謎に包まれている。

「ミノア」文明で残っているのは、古代都市の廃墟だけだ。家屋や通りの大半は、厚い火山灰の層に埋もれている。

これだけの理由があれば、サントリーニ島で発掘調査を実施するのに十分だろう。それもただ掘るだけでなく、これまでに発掘されたものをすべて復元し、保存するのだ。こうして約1年半(冬休みを除く)の作業を経て、このたび実に実に実に興味深いものが出土した!土器の箱だ。その中身は…とても興味深いものだと思うのだが…これがその箱だ。

では、何が入っていたのか?

「空だった」?いや。

中にあったのは…別の土器の箱だ!しかしその中には…いや、それについてはもう少し後にしよう。

まずは背景からお話しする。

遺跡の発掘というのは、延々と続く、過酷で、疲れ果てる作業だ。しかも、どんな結果が出るか予測が立てられない。アクロティリでの発掘作業はもう50年以上続いているが、その間に本当の意味で重大な発見はほとんどなかった。出てきたものといえば、黄金の像(現在は地域の博物館に展示)、多数のフレスコ画、その他細々としたものくらいだ。一体なぜなのか?どうやら街全体が避難したらしい。貴重品はどこか別の場所に移されたのだろう。今も(ほぼ当時のまま)残っているのは壁だけだ(今回、箱も見つかったが!)

フレスコ画は、記事を1本丸々使って説明する価値がある。それほど見事なのだ。しかし、本稿では詳しく触れず、興味がある人は自分で調べてみることをお勧めするに留めたい。フレスコ画については以前記事でも取り上げているので、そちらを見ていただくのもいいだろう。

時には大きなフレスコ画が見つかることもあるが、たいていは小さな破片をジグソーパズルのようにつなぎ合わせていかなければならない。こんな感じだ。

フレスコ画がある場所の大半は判明している。大きく豪華な建物の中だ。では、興味深いものが出てきそうな場所は他にあるのだろうか?私が尊敬する現地の考古学者たちは、発掘現場の片隅、一種の聖域/神殿のような場所に面白いものがありそうだとの判断に至った。そこを掘り、見つかったのが、岩滓や火山灰にまみれた土器の壺と箱だった。壺には、食用油など何らかの有機液体が入っていたと考えられる。中身はおそらく、数千年の時とともにちりと化したのだろう。だが、箱の方には、好奇心をかき立てる面白い魅力的なものが入っていそうだ・・・

 

この2つの箱を見てほしい。まだふたが閉まっている。何千年もの間、その下にあるものを誰も見ていないのだ!時間と火山性の土によって、箱のふたと側面は明らかに破損しているが、中身が手つかずのまま丸ごと残っていることなどあり得るだろうか?

私は作業の進行をしばらく見守っていたので、これが非常に骨が折れる作業であると確信を持って言える。使うのは小さなブラシ(考古学用の「特殊な」道具なのか、普通の絵筆なのかわからない。考古学者の人が読んでいたら教えてほしい)と、ほこりを吹き飛ばす小型のちり吹きだ。

箱のふたを少しずつ外してトレイに乗せていく。トレイは検証と確認のために研究所に送られた。接着してかつての姿に復元するか、今の状態のままにしておくかは、今後決定される。考古学者は性急にすべてを復元しようとはせず、発掘されたものはそのままにしておきたいという人が多い。

時々、特に興味深いものが見つかると、作業者全員が駆けつけて、写真やメモをとる。

箱のふたをはずし、ようやく中身と対面するときが来た。入っていたのは、別の箱だ!これではマトリョーシカではないか!理由は気になるが、誰にも分かるはずがない。

さらに掘り進める…

 

数時間後、箱の中身が突然あらわになった…

 

なんと、小さな顔が火山灰の中からこちらを見つめている!

ここまで読んだ皆さんは、この小さな顔が見つかったから何なのだと思うかもしれない。だが、あの場にいて、何時間にもわたり粘り強く続けられた作業を見守り(それまで何か月も、何年も、発見がなかったのだ)、ようやく「おおお!」と唸るようなものが見つかったときの感覚は、…ただただ最高で、忘れられない。この像の顔は何千年も埋もれていた。我々は今、暗闇の中での長き眠りから「彼女を目覚めさせた」のだ!

そう、ほんの数時間いただけでこのような大発見に立ち会えた我々は、本当に本当に本当に、幸運だった。

アドレナリンやらセロトニンやらの大量分泌が落ち着いたところで、また1mmずつの掘削作業に戻る。だがもちろん、この下には美しい顔以外のものも眠っているに違いない…

層を1つ取り除くたびに検査をして、写真を撮る。

そしてわずか3時間後、また幸運が訪れた!これを見てほしい。

最初はこう考えた。これは女性の像で、もしかすると女神かもしれない。素材は大理石、作られたのはおよそ4700~5000年(五千年!!)前だろう。彼女は火山の噴火に飲み込まれたとき、箱の中で横たわっていたのだ。

この類い希なる発見からすでに2週間が過ぎ、その間、ギリシャの考古学者たちは像自体を入念に研究するとともに、別の時代の同様の像に関する参考文献を調べている。

 

1年前に見つかった別の像。これも箱に入っていた。

こちらが今回発掘された像だ。

考古学者たちは、発見された像について以下のように結論付けた。

前期キクラデス時代の女性像(の大半)は、紀元前28世紀から紀元前27世紀のものである。

最初の人型大理石像(最も自然主義的なもの)は、前期キクラデスI期(EC I)(紀元前3000年~2700年ごろ)に関係する。この時代の像は、最初に見つかった場所がパロスの墓地だったことから、プラスティラス型と名付けられた。腕を腹のあたりで交差し、指はくっついている。このタイプの像は昨年、アクロティリの「ベンチのある家」の発掘でも見つかった。

腕を交差した像のさまざまな型は、前期キクラデスII期(EC II)(紀元前2700年~2500年ごろ)に特有のもので、スペドス型と関連がある。その特徴として、長円形または三角形の頭が後ろに傾いており、肘を曲げ、左腕を右腕の上にして腹部に当てている。脚はそろえているが、間に深い溝があり、膝を少し曲げて、つま先を外側に向けている。

先ごろ発見された像も、やはり箱に入っていた。プラスティラス型の特徴(目、口、耳といった人相の特徴)と、EC IIのスペドス型の特徴を備えた混成(交差)型だ。しかし、ある特異点を指摘しておく必要がある。左腕が右腕の下に置かれているのだ。こうした特徴から、今回の出土品は過渡期の像に分類することができる。科学文献では、前期スペドス型とされている。

いずれもかなり興味をそそられる。こういったものがもっと必要だ。

しかし、話を戻そう。

その翌日、もう一方の箱の中からは何が見つかったか?何だとお思いか…

…別の箱だ!

この箱をさらに1mmずつ掘り進めていく…

出てきたのは…

さらに別の箱だった。またマトリョーシカだ(笑)

この箱は木製だったらしく、5000年ほどたった今では何も残っていなかった。あるのは「名残」のみ。外側は岩滓の密度が高く、内側はそれほどではなく脆い。何という!それに、脆い岩滓の中に小さな骨が見つかったが、それだけだ。他には何もない。おそらく骨以外にも有機物が入っていた(または骨に付いていた)のだろうが、長い年月とともに腐り、ちりと化したのだろう。もっとも、確かなことは永遠に分からないだろうが・・・

私が発掘に立ち会った像は、近いうちに地域の先史博物館に運ばれ、仲間たちとともに展示されるはずだ。他の像と並んでもひときわ目を引くと思う。保存状態がよさそうだからだ。

 

前にも言ったが、もう一度言おう。サントリーニ島には一度でいいから絶対に行くべきだ。この島では必ず博物館を訪れてほしい。小さいが実に見事な博物館で、特にフレスコ画は圧巻だ。

ちなみに、この金色のヤギは、アクロティリで再開された発掘作業での最初の出土品の1つだ。

アクロティリでの発掘の歴史に興味がある人は、この説明書きを参照されたい。

今回発見された像は、おそらくまだ箱の中だ。そのまま入れておくか、取り出すか、まだ決まっていない。我々が口を出すような問題ではないので、有能な専門家たちに任せるとしよう。

さて、今回は以上だ。サントリーニ島からお伝えしたいことはすべてお伝えした。また近いうちに!

Καλοκαίρι!

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