2013年12月25日
ローマの晴天、マラネッロのクリスマス
Ciao、みなさん!
最近の欧州横断弾丸ツアー2013から、イタリアでのエピソードを2つ紹介しよう。
エピソード1: やっぱり場所が大事
我々はローマのパートナーの1社を訪問した。そのパートナーのオフィスは市街中心部という便利な場所にある。上階からのパノラマビューはただただ素晴らしかった。ご想像のとおりだろう。こんな場所で仕事になるのか不思議に思ったほどだ。この景色を何日もただ見続けるだけ、というのは無理だと思うが、数時間なら見ていられるだろう。私の結論としては、屋根のテラスにうるさいローマの鳩がたくさんいなければ、この場所は10点満点だったのだが。
エアコンか複写機か
この角度で見ると、大きなレーザージェットプリンターのようだ
地元の人たちは、上の写真の白い宮殿(ヴィットーリオ・エマヌエーレ2世記念堂)にいくつか愛称を付けている。タイプライター、ウェディングケーキ、プリンターなどだ。確かに、ちょっと似ているところはある。
この永遠の都をぜひとも散策してみたかったが、残念ながら実現しなかった。ローマにおけるシリコンバレーで会議や講演の予定が詰まっていたからだ。ちなみに、その会場はローマ・テルミニ駅の屋根の上だ。同駅はムッソリーニ(Mussolini)時代からの歴史ある建物だが、その話はまた別の記事に書くとしよう。
エピソード2: 赤いクリスマスを夢見て
楽しいひとときだった。フェラーリのクリスマスディナーに参加したのだ!形式張らずくつろいだ雰囲気のディナーで、まるで大家族が集まったようだった。本当に大家族である。フェラーリ社員の家族や親族およそ2~3,000人が、普段はスクーデリアのトラックなどサポートキットを格納している巨大なガレージでテーブルを囲んだ。
トラックたちには外にいてもらおう。親族たちの席が必要なので。
特に感動的だったのが、フェリペ・マッサ(Felipe Massa)の送別会のスピーチだった。心温まる言葉が贈られ、なつかしいビデオが上映され・・・彼は涙を浮かべてステージを後にした。そりゃそうだ、誰だって涙するだろう、スクーデリアに8年も在籍していたのなら。
餞別として、レースカーの(本物の)V8エンジンが贈られた。彼はそのレースカーで、2008 F1グランプリの優勝を後一歩のところで逃している。波乱に満ちたレースだった。詳しくお話ししよう。
それは2008シーズンの最終レースだった。マッサの故郷ブラジルで、チャンピオンを決めるレースが開催された。レース前の得点は、ハミルトン(Hamilton)が94点、マッサは87点。
当時は1着に10点、2着に8点、3着に6点、以降5点、4点、3点、2点、1点が与えられた。9着は0点だ。したがって、マッサが1着になれば97点となり、ハミルトンが6着以降であれば、チャンピオンはマッサだった。マッサが2着でハミルトンが9着でも、マッサが優勝。得点が同じだったとしても、シーズンを通しての勝ち星が多かったため、マッサが優勝するはずだった。
しかし、最後に起きたのはこうだ。
マッサが1着でフィニッシュラインを通過した!が、後続は皆、表彰台に上がるため、そして可能な限りの高得点を獲得するために、まだ走っていた。マッサがゴールした時点での順位は、2位がRenaultのアロンソ(Alonso)、3位がFerrariのライコネン(Räikkönen)、4位がトヨタのグロック(Glock)、5位がToto Rossoのベッテル(Vettel)、そして6位がMcLaren-Mercedesのハミルトンだった。というわけで、マッサがゴールしたときにハミルトンは6位。マッサが2008シーズンのチャンピオンだ!
だが!
最後の最後のラップ(!)で、マッサがゴールした後にハミルトンが追い上げを見せる。まずはベッテルを抜き、続いてドライタイヤを装着していた(その日は雨だった)グロックを抜き去った。その結果、ハミルトンの合計得点がマッサを1点(!!!)上回ったのだ!
マッサがチャンピオンとなったのは、わずか38.9秒間だった!確かに、チーム優勝はフェラーリだったが、それでも失意のマッサにとっては大した慰めにはならない。
レース後、フェラーリの社長ルカ・コルデーロ・ディ・モンテゼーモロ(Luca Cordero di Montezemolo)氏は、テレビを叩き壊したことを認めた。誰が彼を責められるだろうか?
これがそのときパドックで起きたことだ。
[youtube http://youtu.be/mlJWwuV9eBw]
これぞドラマ。これぞF1の世界!
Ciao amici!