マサチューセッツの大雪と、Kaspersky Lab米国進出10周年

米国には数え切れないほど行った。

だいたいは短期間の滞在で数か所を回るだけだが、いつも後からおもしろい話をいろいろとお伝えしている。だが、今回はない!滞在中は仕事漬けの毎日だった。残念ながら、今回の記事に心躍るような楽しい話はないだろう。ただ、珍しい話題を少し…

まずは…雪の話だ!

…そう聞いて不思議に思った人もいるかもしれない。ロシア人が他の国の雪に興味を持つわけがない、と。毎日いやというほど見ているはずなのに?だが、それは違う。当地で、合衆国において、これほど降り積もった雪を見たのは生まれて初めてだ!反射的に、思わず怒りに駆られた。「そんな馬鹿な!雪といえばロシアの専売特許だ!勝手に使われては困る」。奇妙な一言しか出てこない。いや、もう一言。予想外だ。

雪害

Boston snow前日に訪れたエバーグレーズとは大違いだ

Boston snowBoston snow

米国は先ごろ、猛烈な寒波に見舞われていた。国際ニュースで見た人も多いだろう。そのとき積もった雪は人の腰どころか、頭の上を越えていた!また、あまりに寒かったため、大西洋から押し寄せた波が凍り付いたほどだ!ネットで写真や動画を探してみるといい。想像を絶する光景だ。

我々が訪れたときは、ほぼ普段どおりの状態に戻り、汚れた雪が道路脇に大量に積まれているだけだった。確かにこの時期はモスクワの道路にも雪の山がいくつもできるが、これほどの高さではない。

暴風雪のピークを見逃したのは非常に残念だ。来年のこの時期にまた戻ってくるとしよう。ここ数年、これほどの豪雪はモスクワでも見ていない。

Piles of snow in BostonPiles of snow in Boston

Piles of snow in Boston

アイアン・メイデン号?ヘビーメタルが埠頭に停泊している。大海原へと向かうときに『暗黒の航海』を聴いているのだろうか(笑)

Iron Maiden spotted in Boston harbor.

A photo posted by Eugene Kaspersky (@e_kaspersky) on

ボストンに程近いウーバンの当社オフィスから撮影した写真。マサチューセッツ州全域が大雪に見舞われたことがおわかりいただけるだろう。

DSC06255

ここからは少し、過ぎ去った時間に思いを馳せる。

十数年前、Kaspersky Labは米国でまったく知られていなかった。誰も知りたがらなかったし、温かく迎えてくれる人などほとんどいなかった。Kaspersky Labのブランド認知度は…ゼロだった。当時のクライアントの数も…(ほぼ)ゼロだ。先行きは真っ暗だった。それでも米国でのビジネスに本腰を入れて挑戦することにしたのだ。

パッケージ版が店先に並ぶ小売市場は、最初から狙わないことにしていた。当時から競争が激しい市場で、当社はどうにも旗色が悪かったからだ。当社の緑色のパッケージ版製品を置いてもらうには、店を説得して、(米国で)定評のあった競合他社の製品を売り場からどけてもらわなければならなかっただろう。だが、店側からすれば、売れ行きの良い定番ブランドを切り捨てる理由などない。

法人(大企業)市場にも近寄らなかった。この市場ではブランド力がすべてだ。当時無名だった当社が門前払いされることは、挑戦する前からわかりきっていた。時々、大企業の反応を思い出すことがある。「何スキー・ラボだって?」「カスパー・スカイって…航空会社じゃないのか?」「いやいや、ニュースチャンネルだろう!

そのため、まずはしっかり腰を据えて中堅・中小企業を攻めることにした。他よりずっと入り込みやすいと言われている市場だ。

では、何から取りかかったのか?

何をおいても、パートナーネットワークを築き上げる必要があった。全米を網羅し、世界最高の(緑色の!)アンチウイルスを同国に紹介できるネットワークがなければ始まらない!だが、どうやって?各地に(空路で)出向いて、説明会を開催するのだ!それが当社のとった方法だった…

パートナープログラム、カンファレンス、展示会、会議、その他もろもろやったが、メインは「地方巡業」だ。これを何度かやった。小型ジェット機を借りて、「全米横断」ツアーをロックンロールスタイルで敢行した。…そうでもないか。だが、機内のミュージックシステムで、BGM代わりによくロックを鳴らしていた。

ニューヨーク、シカゴ、ミネアポリス、デンバーなどを回った。メキシコのグアダラハラモンテレイにも行った。さらに南下して、メキシコ、サンパウロ(ブラジル)、ブエノスアイレス(アルゼンチン)、サンティアゴ(チリ)を訪れたこともある。

A decade in USAA decade in USA

大変な仕事だった。どうしようもないほど大変すぎるときもあった。

小規模なパートナーカンファレンスは朝早くから始まることが多いのだが、私は朝型人間ではない。製品のプレゼン、マーケティング説明会と続き、その後はウイルスやハッカーの諸事もろもろと当社の対策についての講演だ。さらにいくつか会議をこなし、何度か休憩を挟みつつ、また会議が続く。それが終わったら、次は報道関係者の相手だ。そして時計に目をやると…まだ正午ではないか!!

午後もプレゼン、講演、会議、インタビュー、と同じような予定が続く(私はロックバンドのワールドツアーがどんなものか、わかるようになった。華やかだし、羨ましいと最初は思った。だが、考えてみてほしい。まったく同じ曲目の演奏を毎晩繰り返すことになるのだ。話が逸れてしまったが)。夕方になると皆駆け足でジェット機に戻り、次の街へと出発した。

到着後、メールをチェックし、ブログを書いていると、いつの間にか夜中の12時をとっくに過ぎている!5~6時間寝た後、翌日もデジャブのように同じことの繰り返しだ。朝はパートナー、昼は報道関係者、午後はそれをもう一度、夕方は飛行機で次の街に移動。私が(我々が)どうやって生き延びたのかわからない。ロックスターがどうやってツアーを乗り切っているのかもわからないが。おそらく、酒の問題はこれが原因ではないだろうか?だが、我々はアルコールに手を出さなかった。仕事があまりに多すぎて、冴えた頭で臨まなければならなかったからだ。

A decade in USA

A decade in USA私はまた1人でここに立つ

ちょうどこのころ、当社の目玉製品であるカスペルスキー アンチウイルスのバージョン6が、これ以上ないタイミングで登場した。これはゼロから開発した個人向けのアンチウイルスであり、まったく新しいアーキテクチャで作成され、他にも便利な(そして画期的な)機能が満載で、リソース消費も抑えられた製品だった。どの競合の製品よりもはるか先を行っていたのだ。

その後どうしたのか?

我々の次の一手は、異例中の異例とも言えるものだった。高めの価格を設定したのだ。そして当社は小売市場に打って出た。小売店には、「高級製品だから価格が高い」というシンプルでわかりやすい位置づけを伝えた。当時はまだ市場になかったタイプの製品だ。

小売店はこのアイデアを気に入った。最初は小さな小売チェーンが販売していたが、やがて中堅のチェーンが、少し後にWalmart、Best Buy、Office Depotなどが当社のパッケージ版製品を店頭に並べ、積極的に売るようになっていった…

A decade in USA decade in USA decade in US

…当社の緑色の箱は売れに売れ、数年後、2010年春のある日、調査会社NPDが発表した米国のアンチウイルスソフトウェア小売販売のレポートでは…どうなったと思う?

Top retail antivirus 2010

そう、ついにやった。米国を攻略したのだ。全米の小売店で一番売れたアンチウイルスメーカーになった!

これが10年前の北米進出の顛末だ。つい先日、ウーバンで10周年を祝った!

Celebrating 10 years of Kaspersky Lab business in USCelebrating 10 years of Kaspersky Lab business in USCelebrating 10 years of Kaspersky Lab business in US
Celebrating 10 years of Kaspersky Lab business in US遠い異国の地を訪れたときは、いつも観光の話を少しだけたくさん書くのだが、今回は…何もない。ひどくタイトな過密スケジュールで、観光の時間はまったくなかった。まあ、飛行機の窓からニューヨークを見たと言えば見たが…

New York, New York: bird's eye view

そう、今回の米国訪問は10年前のように、飛行機での移動、会議、カンファレンス、インタビューの連続だった…が、申し訳ないが、報告するようなことはない。

いや、1つだけあったか。ホテルの部屋番号を思い出せないという話だ…

数え切れないほど多くのホテルに泊まって、数え切れないほどの朝を迎えると、自分が今どこにいるのかわからなくなることがよくある。すぐに忘れてしまうのだが、街から街への移動が続いているときに忘れるともっと大変なのは、ホテルの部屋番号だ!昨日は確か…909号室だった。今日は?まるで思い出せない。困った、受け付けに戻るとするか。携帯電話に部屋番号を入れておくようにしなければ。

携帯電話と言えば…

私はSony Ericsson製の携帯電話を愛用していた。頼りになる相棒で、大事に使っていたのだが、ついに動かなくなってしまった。眠っている間に旅立ってしまったのだ。何をしても反応しない。そう、電話を買い換えるときがついにやって来たようだ。しかし、強い愛着を感じていて、使い始めてから…おっと、何年だったか?…8年近くになる。世界各地に何千回と旅したときも、ずっと一緒だった。Sony Ericssonの同じモデルの中では、これが世界一旅慣れた携帯電話だったはずだ!その前に使っていたのもまったく同じモデルだったが、2007年にハリケーンに遭って水浸しになり、森で壮絶な死を遂げた。

Bye-bye my dear friend!スマートではなかったが、タフな携帯電話だった

ではまた!

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