世界最大の装置 – その3

まずは第1回と第2回の内容を簡単に振り返る。

スイスとフランスの国境、ジュネーブの近くに、欧州原子核研究機構(CERN)という施設がある。いくつもある建物の中では、現代の錬金術師科学者たちが宇宙の基本構造を研究している。陽子やその他の素粒子をほぼ光速で加速し、素粒子同士を衝突させることで、クォークグルーオンプラズマなど、さまざまな種類の神秘的な物理現象を発生させ、途方もない知力(数学、物理学、原子物理学、量子力学…くらいか)、エンジニアリング能力、コンピューター処理能力を使って、基本素粒子の衝突結果を観測しているのだ。

我々は先日CERNを訪れ、かなり長時間にわたって中を案内してもらった。写真もたくさん撮影した…

最初に見た加速器はLEIR(Low Energy Ion Ring:低エネルギーイオンリング)だ。この中には鉛イオンが貯蔵されている。イオンはまず線形加速器LINAC-3からLEIRに注入され、PSリングを通過して、巨大な環状の加速器複合体へと渡される。その1つが大型ハドロン衝突型加速器(LHC)だ。

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LHCは、巨大としか言いようのない装置である。全長は約27kmで、地下深くに設置されている(これには実用面での理由もあるが、地上の「雑音」が衝突結果の観測に影響を与えないようにするためでもある)。LHCには、素粒子の加速、衝突、経過の記録のために、特殊な装置が大量に搭載されている。

粒子線は並列に設置された2本の真空パイプ中を(それぞれ逆方向に)周回し、ある地点で衝突する。加速器リング中で粒子線を誘導するには、超電導磁石によって強力な磁場を発生させる。超伝導状態を作り出すために使用されるのは、冷却された液体ヘリウムだ。こうしたプロセスによって、フランスで約180メガワットの電力が消費される。

LHCのパイプはこんな感じだ。

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すべてのプロセスをきちんと進めるためには、想像を絶するほど高度な技術に投資しなければならない。たとえば、液体ヘリウムによる冷却(-271°C、つまり絶対零度より2°C高いだけの温度まで冷やす)では、金属部分がある程度収縮するため、パイプに特殊な「防寒カバー」や湾曲部分を作って、こうしたサイズの変化に耐えられるようにする必要がある。

さて、超伝導状態まで冷却するため、LHCの電力システムは、外にある「地上」の電線に接続しなければならない。そこから180メガワットのエネルギーによって電力と熱が供給されるのだ。ただし、電力を送る必要はあるが、同時に熱を伝えてはならない。これが、LHCを稼働させ目的どおりに使用する上での技術的な困難の一例だ。他にも驚くべき事実が山ほどある…

1) LHCの中で加速される陽子はすべて、通常の水素原子から取り出したものだ。1日に使用される水素はわずか2ナノグラム。見方を変えれば、たった1グラムの水素をパイプに通すのに、LHCを100万年稼働させる必要があるということだ!

2) 陽子はエネルギーが最大のとき、光の0.999999991倍の速度でLHCの中を移動する。すべての陽子が27kmのリングを1秒間に11,000回以上周回する。

3) この極小の物質の加速に消費される運動エネルギーは、高速列車や旅客機の運動エネルギーと同程度だ。

4) LHCのビームパイプ内の圧力は、月面の約10分の1。これを「高真空」という。

5) LHCのトンネルは少しだけ傾いている(わずか1.4%)。これは、地下の構造の違いを補正するためだ。トンネルのジュネーブ湖側の出口は地下50mに位置しているが、フランス側の出口は地下175mとなっている。

6) LHCを使った大規模な実験で1年間に記録されるデータの量は、DVD約100,000枚分に相当する。

7)陽子の塊を誘導するための超伝導磁石は、細いニオブ繊維を含むワイヤーで作られている。ワイヤーの幅はわずか7マイクロメートル(0.007mm)で、人間の髪の毛の10分の1だ。LHCのニオブフィラメントすべてを端から端まで繋ごうとすれば、地球と太陽を6往復して、さらに月まで75往復しても足りないくらいの長さになる!

もうおわかりだろう。極めて複雑で巨大な装置なのだ。

必要な経費も莫大な額になる(しかも、当面は経済的な利益も見込めない)。したがって、一国で費用を負担できないのも当然だ。さまざまな国がCERNとLHC、その他もろもろの資金を出しているのだ。下の写真のポスターには、各部品の費用を負担した国が列挙されている(イタリアの貢献度の高さには特に感心した。もちろん、国旗が白、青、赤の横縞の国にもだが)。

cern-math-5英国の旗が見当たらないのは、感心しない(笑)

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LHCのトンネル自体への立ち入りが許可されなかったのは残念だった。我々が訪れた日には、すべてのシステムが非公開になっていた。入ることができたのは、LHCへと繋がる地下100mのシャフトの1つだけだ。次こそはシステムの停止中にCERNを訪れて、実物を見たいものだ。厳格なセキュリティルールのために、システムの稼働中は誰もトンネル内に入れないことになっている。

セキュリティと言えば…

加速器(特に大型のもの)は、非常に複雑で極めて高価な装置だ。この装置が世の中に害を及ぼすことはあまりない(幅数メートルほどの穴があくくらいだ)が、装置自体を傷つけてしまうことがある。ネットで「ハドロン衝突型加速器 事故」と検索してみるといい。

そのため、LHCとその周りのあらゆる装置に、さまざまな安全対策が幾重にもわたって施されている。すべての装置にセンサーが搭載されているし、何種類ものロックシステムや、制御装置、赤色灯、「止まれ!禁止!」のサインなどがある。何か問題が発生した場合は、LHCの緊急停止装置が作動し、中性子の塊が4サイクルで(つまり2,500分の1秒以内に)消滅する。

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したがって、全般的に見て、CERNの物理インフラは安全だと確信している。しかし、無限と言えるほど膨大なデータを収集し、処理しているコンピューターネットワークの安全に関しては、あまり確信を持てない。いや、決して確信できない。

CERNには巨大なデータセンターがあり、その力を借りて世界的なITの発明がいくつも生み出された(WWWについては前に少し触れたと思う)。また、分散コンピューティングのための大規模なグリッドシステムもある。CERN全体がとんでもないレベルでコンピューター化されており、こうしたコンピューティングインフラがなければ、高価な物理実験は何一つとして実現しないだろう。よって、CERNの巨大コンピューター群とネットワークは、種々のマルウェアやハッカー攻撃から常に保護されていなければならない。CERNは絶えず攻撃を受けているのだ。悲しいことだが、これが現代のサイバー空間の現実である。そして、当社の出番でもあるのだ!

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ここで少し、CERNの内輪のジョークを…

科学者もユーモアを解する人間だった…。その証拠が下の写真だ。

cern-math-9「ビームはこちら向き」ということだろう。粒子の塊を間違った方向に流さないようにするためか。

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"Think like proton. Always positive". Now I know my slogan 🙂 Kudos the team behind Super Proton Synchrotron at #CERN

A photo posted by Eugene Kaspersky (@e_kaspersky) on

Here is a house where it all happened #CERN

A photo posted by Eugene Kaspersky (@e_kaspersky) on

反物質(Antimatter)?なんと!反物質は、宇宙飛行士と軍関係者にとって夢の物質であると同時に、「恐怖」とほぼ同じ意味を持つ。というのも、1グラムの反物質と1グラムの物質によって、それなりの大きさの核爆弾と同じ規模の爆発を起こせるからだ。

しかし、軍事利用などの恐ろしい負の側面ばかりではない。

確かに未来の兵器がここで発明されているわけだが、未来の新しいエネルギー源も生まれている。便利で人のためになるものが、他にもここで発明されるはずだ。それは失敗から生まれるだろう。科学実験を行うときによくあることだが、何かを探しているときに、予想もしないまったく別のものを発見し、それが最初のものより価値があった、というケースだ。有益な副作用と言える。ペニシリンの発見もそうだ。

格納庫の上を飛ぶ鳥を見た。「反」鳥に違いない。見かけた猫も、明らかに「反」猫だった。

他にお伝えすべき前向きな話は何があっただろうか?反物質を数キロ分プレゼントされた!残念ながら、機内への持ち込みは許可されなかった。貨物室でもダメらしい。

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もちろん冗談だ。CERNで1秒間に生成される反陽子は、合計わずか5~10個程度。これに反電子を加えれば、もちろん反水素ができあがるが、そんなペースでやっていたら、1グラムの反水素を作る前に…宇宙の寿命が来てしまう。

さて皆さん、CERNとその驚愕の加速器についての話はこれでおしまいだ。

またお会いしよう!

 

 

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